「このまま会社員でいいのか?」
「普通な暮らしを続けて幸せになれるのか?」
「ちょっと待って!なれなくない?」
「いや、、無理やん。」
仕事ばかりしていた26歳のとき、こんな思いになり絶望しました。これがぼく人生の転換期です。
そこで出会ったのが「LIFE SHIFT」という本でした。この本のおかげで、「死」を意識して生活するようになります。
では、実際どんな思考になり行動に出たのか?
- 人生100年時代を考える
- 副業を開始する
- 30代は修行!
よーたは一体何者なのか?
どんな生き様を持っているのか?
知りたい人はぜひ読んでください。
生き様に共感してくれた方はぜひ連絡をください。
一緒に仕事しましょう。
野球との出会いと成長
友達の誘いで8歳のとき、地元の野球クラブに入部。ポジションはセカンドとショートでしたが、心の中ではキャッチャーになる夢を抱いていました。これは、キャッチャーだったおじいちゃんの影響です。
三人兄妹の長男として生まれ、自然とリーダーシップが身についたぼくは
「チームのムードメーカーになりたい」
という思いがありました。
実は、ぼくの大好きなおじいちゃんも野球経験者でポジションはキャッチャー。花形と言われるピッチャーには興味が全くなく、キャッチャーを目指していました。
しかし、小学校卒業時の身長はわずか139cm。監督からも「キャッチャーはもったいない」と言われ、内野手に回されました。それでも夢は諦めず、中学・高校で奇跡的な成長を遂げます。3年間で身長が22cmも伸び、高校では念願のキャッチャーに挑戦。毎朝、親友と二人でバッティングマシンと格闘する日々を送りました。
努力の甲斐あって、1年生の冬にはレギュラーを獲得。毎年シード校になる強豪校を倒すまでに成長しました。
この経験は、後の人生で直面する困難を乗り越える力となりました。野球を通じて学んだ努力の大切さ、チームワーク、そして諦めない心は、ぼくの人生の基盤となっています。
おじいちゃんの病気と進路の決定
高校2年生の時、人生の転機が訪れました。尊敬するおじいちゃんが脳梗塞で倒れたのです。右半身が麻痺し車椅子生活を余儀なくされました。しかし、リハビリの力で驚くほどの回復!
車いす生活だったおじいちゃんが、一人で暮らせるようになったんです!!
これを目の当たりにして
「リハビリってすごい!」
という思いが、ぼくの人生の方向性を決定づけることになります。
この経験をきっかけに、理学療法士を目指すことを決意しました。野球一筋だったため勉強面での遅れはありましたが、必死で専門学校を受験し、なんとか合格。
「おじいちゃんのような人を救いたい」
という強い思いで、理学療法の勉強に没頭しました。
予想外に理学療法の世界にのめり込み、無事に卒業。700床以上の大規模総合病院に就職しました。おじいちゃんの病気という不幸な出来事が、ぼくに新たな使命と情熱を与えてくれたのです。
パニック障害との闘いとビジネスの始まり
しかし、理学療法士として4年目(2017年)を迎えた25歳の頃、突如としてパニック障害を発症しました。仕事への情熱から毎日遅くまで勉強を重ねていたことが原因かもしれません。
当時は
- 仕事終わりにマックで勉強
- 休みの日もマックで勉強
- 週一回は飲み会
いわゆる仕事人間で、「おじいちゃんのような患者を救いたい」という思いから「他人に負けたくない」と他者視点に変わっていました。
おまけに、飲み会でのつながりは大事にしていたので日付が変わるまで飲んで帰るなんて週一回以上はあったと思います。
そりゃ疲れちゃいますよね、、、、笑
結果的に、外出が困難になり、友人関係も希薄になり、体重も激減。
ゴリゴリの体育会系だった自分がこんな状態になるとは思ってもみませんでした。
さらに、不運にもパニック障害と診断を受けた約20日後、、、
野球の方向性を決め、理学療法士という人生の方向も決めてくれた愛するおじいちゃんが他界。
「なんで今?」
幸い仕事は休職せず踏ん張りましたが、正直メンタルは底をついていました。数ヶ月間はぼーっとした状態が続き何も手につかない状況でした。
しかし、「このままではいけない」という思いから、メンタルヘルスや人生について本を読み漁りました。
そして、ビジネスの始まりである「ブログ」と出会います。
なぜ、ブログだったのか?
体調を崩したときの収入源が欲しかったから
次、体調を壊したら仕事ができなくなるかもしれない。じゃあどうする?
必死に考えた結果、「不労所得」という言葉を見つけました。
「黙っててもお金が入る?」
「最高じゃねーか?」
本屋さんでWordPressブログの始め方の本を書い、2日くらいかけてブログを立ち上げました。ぼくの最初のブログ名は「NEXT REHABILITATION」。中二病って感じのブログ名ですよね!笑
でも理念はしっかり持っていて
これまで経験をブログにアウトプットして若手理学療法士のために学べるブログにする目標を持っていました。
ただ、200記事ほど書いても全く結果は出ず、月1000円も稼げない状態が続きます。でも、諦めずに継続。YouTubeやスタンドFMにも挑戦しましたが、どれも思うような結果は得られませんでした。
「悔しい」
「うまくいかない」
「センスない」
これが、悔しさが現在webライターをやっているぼくの原点と言えるでしょう。
家族との新たな章と挑戦
「どれもうまくいかない」
「センスがない」
「このままではあっという間に年をとってしまう」
そんなことを思いながら、ものすごいスピードで生活が変わっていく毎日でした。
2019年の26歳で結婚。2021年、28歳で第一子が誕生。
絶望の淵に立ち、それでも努力し、結果が出なくても、結婚・出産で周りから人生で味わったことのない祝福を受けました。
幸せでした!自分の体のことなんて忘れてましたね。
ただ、同時に「家族を守らなければ」という強い意識が芽生え、より一層仕事に打ち込むようになりました。理学療法士としてのキャリアも順調に進み、主任として30人規模のチームをまとめる立場に。
しかし、責任の増大とともに、仕事と家庭の両立に苦心する日々が続きました。
2024年、第二子の妊娠が判明したころ、妻が悪阻がひどく休職。ママがずっとベッドの中にいると、さすがに長男も精神的に不安定になってしまいました。
ぼくは朝6時に起きて朝食を作り、子供を保育園に送ってから仕事。残業せずに保育園に迎えに行き、夕食を作り、寝かしつけてから家事をこなす。気づけば23時を超えているという生活が続きました。
仕事中も主任としてマネジメントしながら患者を診る激務をこなす日々。
うつ病との闘いと再起
激務と家庭の両立に奮闘していました。
「このままなんとか頑張ろう」
そう思っていた矢先、、、、
「夜が怖い」
「眠れない」
「誰かに襲われそうな気がする」
強迫性障害と診断されました。
原因はよくわかっていません。ただ、交感神経の使いすぎ。要は体を休めていなかったことが大きく影響していたのでしょう。
そして、パニック障害を発症した頃に一番恐れていた事態が起こってしまいました。
2024年8月から5ヶ月間、うつ病で休職することになりました。
天井を見つめる日々が続き、深い絶望感に襲われます。これまでパニック障害にならないよう努力していたつもりが、いつの間にか自分の体のことを忘れていました。周囲の助けを借りることもせず、全て自分で解決しようとしていたのです。
野球部時代、努力してレギュラーを勝ち取り、強豪校を倒すまでに成長した経験。
専門学生時代も努力して結果を出した自信。
しかし今回は、初めて手も足も出ない敗北感を味わいました。
とは言ったものの、10月に迫った第二子の誕生を前にある言葉で「このままではいけない」と再起を決意。
偶然目にした大リーガー、ダルビッシュ有選手の言葉に触発されます。
自分は40歳になってクビになって、仕事がなくなった。そこに神様が現れて『1回だけチャンスあげるから20歳に戻っていいよ』と言われ、20歳に戻った。それが今の自分だ。
この言葉を聞いて、うつ病なってもならなくても絶対に努力するだろうと感じました。今、全力を尽くさなければ、家族を幸せにできない。後悔する人生になってしまう。そう思い、再起を決意したのです。
新たな挑戦とwebライターとしての道
webライターとしての活動に本格的に取り組み始めました。活動するからには能力の高いwebライターにならないと仕事を貰えません。
ただし、「時間的制約はどうしても本業の人に勝てない」と感じたぼくは、一気に成長するため本格的な教育を受けることを決意。ハワイに家族を連れて行けるほどの額を自己投資し、成長に賭けました。
現在、みるみるうちに成長を遂げています。
振り返ってみれば、高校時代も専門学生時代も、人に教わって成長してきました。今回も、人に教わることで成長にブーストがかかったのです。
結果的に、すぐに最高月収を達成。営業成績も良好で、毎日ライティングに明け暮れる充実した日々を送るようになりました。
そして、環境を整えることの重要性も痛感。実は10年勤めた総合病院を2024年7月離れる決断をしました。
理由は
- 副業環境を整えたい
- 自分の体を大事にしたい
直近3年は激務だったことを振り返り、よくやれたものだと感心するほどでした。しかし、ぼくの目標は必死に仕事をすることではなく、家族を幸せにし、笑っていられることです。転職という重要な決断をして、自分に合った環境を整えました。
現在の思いと未来への展望
今、改めてwebライターというビジネスを行う思いを考えました。
まず第一に
「自分と家族の笑顔を絶やさないこと」
ぼくは大真面目です。
なぜこう思ったか?以下に記します。
- 人生100年時代だから
- 1つの仕事で生き残れない可能性がある
- 理学療法士×〇〇が必要
- 氏名で選ばれる存在が最強
- 医療、シニア市場は伸びている
- 社会貢献が必須になる
人生100年時代です。良くも悪くも長生きになってしまいます。ぼくは1992年生まれの32歳。死ぬまであと68年あります。
試算ですが、家族4人であと68年生き抜くには「お金」がどうしても必要です。生活水準にもよりますが、以下の試算をしています。
32歳から人生100年時代を生き抜く試算
65歳までの必要額:2億1,000万円
65歳以降の不足分:5,600万円
生涯で必要な金額の合計は、
2億1,000万円 + 5,600万円 = 2億6,600万円
*年収450万円で、現在の生活水準を維持し、65歳以降も安心して生活するためには、生涯で約1億1,750万円の貯蓄や追加収入が必要。
平均的に1億円は必要だと思っています。
組織に属した理学療法士でなく、「よーた」として個人で力をつける必要があります。
「結局お金かい!!」
と思った方もいるでしょう。ぼくはお金についてこう考えています。
世の中に価値を与えた対価として「お金」をもらえる
ご飯を食べるためには、価値を提供しなければなりません。価値を提供できたからこそお金をもらえる。今後、多くの価値を提供できれば、生活に苦しむ可能性は少なくなると考えています。
だから、最終的には「社会貢献」を目指しています。
自分が同じ思いをしないよう、また他の人にも同じ思いをしてほしくない!
という願いから、ぼく以外の人に「生活に選択肢を与える人」になるという目標を持っています。
パニック障害やうつ病の経験を振り返ると、選択肢がなかったから体調を崩し辛い思いをしたんだと痛感しました。今では複数の選択肢を持ったことで視野が広くなり自由度が増えました。これからも成果を上げ、社会に貢献していきたいと思っています。
最後に
人生は思わぬ方向に進むこともあります。しかし、諦めずに前を向いて進み続ければ、必ず道は開けると信じています。
野球少年時代から理学療法士としてのキャリア、そしてパニック障害やうつ病との闘いを経て、webライターとして新たな道を歩み始めた。
今、ぼくは自分の経験を活かし、多くの人々に希望を与えられる存在になりたいと考えています。
困難は必ず乗り越えられる。そして、その経験は必ず未来の自分の力になる。
これからも、家族の幸せと社会貢献を目指して、一歩一歩前進していきます。と言いたいですね。
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